経営漫談士「三々な経営」・「続・三々な経営」

はじめに

「真面目」とは、物事に「真正面」から向き合う「目」。「まじまじ」と語源は同じだそうで、一見すると素晴らしい熟語に思えます。 しかし、これがマジ、危ない!真剣で誠実な態度は、物事に取り組む必要条件ですが、「生まじめ」過ぎる人は十分条件まで含 め、それを絶対視してしまいます。今回のコラムは、「不まじめ」「生まじめ」に「ロボコン博士」森正弘先生提唱の「非まじめ」を 加え、3つの切り口から真面目に考えなおしてみました。

1.不まじめ

物事に向き合わない「不まじめ」は論外です。しかしそれを排除すれば一件落着、という考え方は非常に危険!自分たち周辺から対象を排除し、問題の発生を外部に押しつけ、知らんふりしているからです。「知らない」「関係ない」は、その言い訳としてよく使われる言葉の代表です。また逆の、真剣に向き合うふりが巧みという「不まじめ」は、なかなか見抜けないのが実情。かつて某大学の有名教授が、ある会合でこのタイプを「神輿にぶら下がっている人間」と評したところ、このコラムですでに紹介した菱食(現三菱食品)の廣田正氏が、企業にとって最も問題なのは、「自分だけ神輿を担いでいるつもりの勘違い人間」と言下に否定し、名経営者の見識に感動したことがあります。しかしいまはさらに大変。紙の文書も減り、仕事のプロセスがもっと見えづらくなっているからです。インターネットという遊具まで完備したパソコンは、この類の「不まじめ」人間にとっての桃源郷です。

2.生まじめ

「生まじめ」は、真正面からひたすら物事に取組む姿勢で、不まじめの対極にありますが、場合によっては、それが行き過ぎて「面白み」がないという皮肉を含むこともあります。かつて大不祥事に揺れた某自動車メーカーが、その再生第1号として発売した乗用車のCMのコピーは、「まじめ、まじめ、まじめ」。これからは「生まじめ」という宣言ですが、それ以前の「不まじめ」を真正面から認める表現なので、再発防止プロジェクトの一員だった私は、その再検討を助言しました。しかし「生まじめ」に変身した?社員の方々には真意が全く理解されず、大々的にTVに流れ、世の中にまたまた話題を提供してしまいました。(不祥事はさらに2回繰り返され、「まじめ」の連呼回数と見事一致)因みにコンサルタントが報告書に書く「まじめ」はこれですが、クライアントの強みが見当たらないとき非常に便利な言葉で、「生まじめ」な担当者に十分喜んでいただけるので、私もつい使用してしまいます。

3.非まじめ

「非まじめ」とは、東工大名誉教授の森正弘先生がかつて熱心に提唱した概念で、上記二つを超越した真面目さのこと。物事を真正面ではなく、ひと味違った視角や視点から見て、面白い考え方や行動を導き出すことをいいます。以前イベントでお会いした法政大学総長の田中優子先生に専門をうかがったところ、「江戸時代をよく理解するために、専門はもたない」が答。続いて、「経営という切り口で江戸時代を考察し、ぜひ自分に教えてほしい」と非常に「非まじめ」な依頼をされました。

出版不況を主導する出版社は、森先生の『非まじめのススメ』を「不まじめ」にも絶版にしてしまいました。確かに、生産性向上だけを「生まじめ」に追求する経営者は、「非まじめ」な本など見向きもしません。ということで、いま最も世の中に必要「非まじめ」は、別項で真面目に考えてみたいと思います。

0.企業と経営者

1.環境のマネジメント(戦略、多角化、国際化、人材マネジメント、財務戦略)