1-K シンガポール駐在

大阪財務部長「東京の出張どうやった?」
僕「えらい目にあいました。社長が激怒しちゃってねぇ…」

シンガポール駐在の辞令をもらった僕が出張から帰ってきた第一声である。
当時のニチメンでは駐在直前の社員に社長が面談して激励するという目的の会が用意されていた。
時期的にはニチメンと日商岩井が経営統合を発表する3年前。もちろん、当時はそんなことは全く動き始めていなかったわけだけど、ニチメン自身の経営もあまり芳しくなく、このままでは持たないかもしれないという厳しい状況だったことは30代半ばを過ぎた社員にとっては良く認識していたといえるだろう。

2か月前に就任した社長は気難しい人だった。以前も大阪出張時に社有車の車載電話から大阪財務部にいきなり電話をかけてきて、大阪財務部長はおるかと聞き、電話を受けた若手女性社員が不在を告げ、お急ぎですかと尋ねたところ、急ぎだから電話かけてるにきまってるだろと捨て台詞を残して一方的に電話を切られたと若手女性社員が悲しがっていた。だから僕の彼に対する印象はそもそも良くない。

8人ほどの各国への駐在予定者が集められ、あまり好きでない社長とさらに大嫌いな専務と腰ぎんちゃくのような人事部長の3人で面談が始まった。
最初に捕まったのはニューヨークに赴任予定だったK先輩だ。

冒頭の自己紹介的なパートの最後に
「・・・として任期を全うして参りたいと思います」としめた瞬間に社長が吠えた。というよりも揚げ足をとった。
「君、任期なんてあると思うなよ、成果がでなければ3か月で帰国させる!」

なんだ、これ?激励する会じゃないの? これから赴任する駐在予定者のモチベーション落としてどうするの?僕の心はざわざわと嫌な予感が出始めた。
その後は各人地雷を踏まないように当たり障りのない話をし、早く終了することを全員が切に願っていた。

では最後に何か質問は? 腰ぎんちゃくの人事部長が切り出した。あー、ようやく終わると安堵したのもつかの間、誰からも質問がでないことも社長はお気に召さなかったようで、
「誰かいないか、じゃ君。」と僕を指名する。痛すぎる。

なるべく当たり障りのない話で終わらせようと思いつつ、その場で考えて口にする言葉は時々すべる。ニチメンの経営が厳しい状況であることも頭をよぎったことも一因だ。

自分たちも海外で全力を尽くすので、社長も厳しい状況に負けずに頑張ってほしい…的なことを口走ってしまった。頑張ってというのは確かに上からだなあと今では思うのだが、この一言がまた逆鱗に触れてしまう。

「頑張るのは君たちやで」
そこからは社長を引き継いで、大っ嫌いな専務が大盛り上がりを見せる。
「そもそもシンガポールに財務が二人も必要なのか?」
どういう風に答えたかは覚えていないけれど、心の中では

財務の2名が多いか多くないかなんて行ってもない人間がわかるか?
お前らが許可のハンコ押したから、辞令がでて、俺はここにいるんだろ?

そんな不満でいっぱいだった。ひとしきり怒声を浴びせられてようやく解散となった。

とは言え翌週にはもうフライトだ。
シンガポールに着任して店長から言われた一言は
「お前を帰国させろって本社が言ってるんだよ、うるせーなー」と大笑いしてくれた。明るい豪快な店長でほんとうに助かった。

シンガポールは明るい国だ。ココナッツの実は未熟なときには緑で熟れたらきれいな黄色に変わる。町中のどこにあるので誰もとろうとしない。10数キロもありそうなジャックフルーツも普通に街路樹として植えられている。
アジアの金融のハブであり、シンガポール発でアジア圏全体の財務周りの面倒を見ようというのが当時の財務部の考えだったようだ。
ミャンマー向けの建設機械の延払い債権をドイツ系金融機関に売却したり、面白い仕事もできそうな予感もし始め、金融機関や他商社の友人もでき始めた頃、ちょうど着任から1年後に突然の辞令を受け取ることになった。香港への移駐である。

赴任前にうるさかった社長や専務は今度は財務部本部を標的にした。営業出身の二人からすると、財務の仕事や収益の作り方がずるいと常々感じていたようだ。また、プラント輸出にあたって、公的な融資を組成していた国際金融部は、儲からないプラントを多数創り出したとして解体させられ、再度シンガポールに財務が二人は多すぎるという議論を吹っ掛けたようだ。

後から聞いたところでは、財務本部のトップの人たちは僕を1年で帰国させると経歴に傷がつくようなことを気にしてくれたらしい。ただし、香港の財務部員も任期があと1年残っている。そんなわけで僕が異動した先は香港の経理部。既にベテラン駐在員として重宝されている3期下の財務の後輩の横の島でこれまで全く担当したこともない経理・人事総務を担当することになった。

今から考えるとこの経理・人事担当という経験は自分の仕事の幅を大きく広げるきっかけとなったし、その後の僕の生きていく道筋を決めるきっかけになったかもしれないと考えている。

 

 



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