1-A 新規コラムを始めます! 

これまで岡野実空師による三三な経営シリーズをご覧頂き、まことにありがとうございます。
前シリーズでも遺言とか引き継ぐとか三々書かれて参りましたのでお気づきの方も多いとは思いますが、岡野実空師がご隠居活動に入るべく、いろんなことの断捨離を進めています。

当コラムもその一環で私が引き継がせて頂くこととなりました。
引き継ぐにあたり、コラムの在り方もこれまでのPDFを掲示する方式から、ご覧いただいているような記事形式に変えていきたいと思います。このやり方ですと過去の記事や、他の情報等にもリンクを張れたり、便利なんです。たとえば、実空師の2022年12月19日付のコラム『カウントダウン③続・明日への遺言「座右の三冊」』にリンクを張ると、この色の変わった部分をクリックするだけで、見ることができます。

さて、いきなり引き継ぐことになったMCN新人の井村正規と申します。
とはいえ、これまで長年にわたり実空師のコラムに慣れ親しんでこられた方にすれば、井村?誰?と思われるのも当然であります。
そこでコラムを引き継ぐにあたっては私の自己紹介から入らせて頂ければと思います。
ちなみに営業用のプロフィールはこちらです。

このコラムではプロフィールには書かれてていない「私」という人となりを知っていただく内容からスタートしてまいりたいと思います。

1962年に福岡県で産湯を使いました。父は長崎の島原市出身、母は北九州市出身で生粋の九州人に見えますが、出身地である福岡はたまたまサラリーマンの父が転勤で赴任していた場所です。。
転勤が少なくなかった父の仕事の関係で、私が生まれた3か月後には家族は北海道の札幌に引っ越すことになりました。その後も北海道→東京→福岡→東京と転勤を繰り返しました。

私も3か月で札幌、2歳で東京、小学校2年から中学校卒業まで福岡と父の転勤に伴って、住む場所が変わりました。小学校2年生で東京から福岡に引っ越したのが、物心ついて初めての引越しでした。先生やクラスメートが駆使する地元博多弁に「言葉が通じない!」というのが私にとっての初めての異文化体験。ただ言葉なんてものはすぐに慣れるし、友達はすぐに仲良くなれる。思い返すと私の人生の中で異なる文化の中でもやっていけるという原体験はこんなところから来ているのかもしれないなと思ってしまいます。

福岡の小学校時代は西新という素敵な町で暮らしました。MCNの仲間の方々には実は小学校の後輩がいたり、隣の小学校の出身者がいたりでおそらく僕らは半径1㎞以内に暮らしていたはずです。

そんな福岡では、クラスの仲間と日が暮れるまで遊んだり、野球をしたり、サッカーをしたりと極めて健全な子供時代!をすごしました。小学校のクラスメートは今でも仲がとてもよく、関東で暮らしている10名前後の友人たちとは3か月に一度くらいのペースで同窓会で旧交を温めています。そんな小学校6年生の夏に新しいコトと出会いました。

新しいコトというのは音楽との出会いです。生まれて初めて見に行ったコンサートを見に行きました。解散直前の赤い鳥というグループでした。今でも小中学校で合唱曲にもなっている「翼を下さい」だとか、「竹田の子守歌」がヒットしたグループで、初めて生で聴く音楽は小学校6年生の私に強烈な印象を与え、その翌日からギターを弾き始めました。実は今に至るまで引き続け、さまざまなところで演奏しています。講演や研修など多くの人の前でパフォーマンスすることが好きになった原体験はおそらくここからきているのだろうと思います。

実空師は広尾にあるあそぶ学園のご出身ですが、私は鹿児島にある裸猿高校を卒業しました。見知らぬ土地の寮生活というのも自立心を養うには良い機会だったように思います。この時、周囲の学友たちがものすごいガリ勉野郎に見えていたのですが、その後、数十年で集う同窓会で会うと誰もがとても穏やかで他人の痛みを思いやる大人になっていて、みんなすごいなぁと感じたりもします。比較的早い年ごろで親元を離れたという経験もその後の自分たちの人生にはきっと大きな影響を与えたものと思います。

異文化体験・音楽および音楽で培った人前でのパフォーマンス・見知らぬ土地をいとわない、こんなバックグラウンドから、その後の私の人生の方向性が決まってくることとなりました。(続く)

井村正規

 

 

 

 



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