1-B 音楽と大学入試

こんにちは。MCNの井村正規です。先達の岡野師は実空というペンネームを使っておられましたが、僕は名前も知られていないので本名で行こうと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

前回は僕の原体験的なところを話させて頂きました。本日はその後の話。

鹿児島で親元を離れた暮らしを高校生ぐらいでやると、まじめに勉強するか、まったく勉強せずに自由を謳歌してしまうかの二極分解が発生するものですが、僕の場合は完全に後者。ギターを弾いてばかりの高校生活でした。

ギターでの弾き語りは現在も続く、僕の趣味であり、歌うことが大好き。
会社に入ってから世の中で流行し始めたカラオケは大得意分野で、仕事相手と関係を詰める時にほんとに便利に使わせてもらいました。

「ギター弾いて歌えば盛り上がるから」そこにはステージで慣れた経験があります。これが活きた活動になったこともあります。2011年の東日本大震災で地震と津波と火災により壊滅的な被害を受けた宮城県気仙沼の復興を応援しようと仲間で立ち上がり、当時コンテナを店舗とする復興商店街をどうにか盛り上げられないかと街バル「気仙沼バル」を開催したんです。
全員会社員の仲間たちは祭りの会計とか店舗の支援等の事務仕事をメインに担当していたのですが、僕は「ギター持ってって歌うよ。流しやったら盛り上がるから」と。
実際に店舗内でお客様と一緒に大合唱が始まった時には店舗の窓の外にも観客が大勢詰めかける状況でした。このイベントは今ではもう、復興なんて言えないほどきれいによみがえった気仙沼でも毎年続いていて、僕も毎年ギター持って訪れています。もちろんコロナ禍になってからは店の中で歌うのは迷惑ですので、ステージのみでの演奏になってしまっていて、若干残念ではありますが…。

こんな活動の根っこは高校時代のギター弾いてばっかりの生活にありました。他にも、ものすごく楽しいこともたくさんあった高校生活でしたが、世界に発信されてしまうこの場では書きにくい。ここらへんにご興味のある方はぜひ、MCNのイベントにも足をお運びください。こっそりお教えします。

そんな楽しい生活をしていたからか、大学入試は2浪して実空師と同窓の低能未熟大学へ入学します。あほう学部おせいじ学科という僕が入学した学科は今ではこの大学の中でも一番偏差値が高い学部になっていて、まさに後輩の方々の努力のたまものと思います。しかしながら、僕が入学した時にはクラスの7割くらいが体育会の学生で、練習中心の生活でもちゃんと卒業できるという学部でした。自由を謳歌する僕にとってはうってつけの学科かもしれません。この政治学科は当時は第2外国語でクラスがわかれていたのですが、僕が選択した中国語は他のドイツ語・フランス語などと比べると選択する学生が少ないからか、教授陣の評価も暖かく、楽勝のイメージが強くて、体育会の学生が集中していたのはそんなところが背景にあるのかもしれません。

中国語を選択したのは、単なる偶然です。当時はこの大学のこの学科では、入学試験の願書を送付する時点で、第二外国語を選択する必要があったのですが、願書の時点で入学できるかどうかもわからない大学の第二外国語なんて全く興味がなく、兄の楽勝だよ、という奨めに従って、中国語にチェックしたというだけのご縁でありました。

ただ、これがまた僕の人生に大きくかかわることになるとはこの段階では全く知る由もありません。(続く)

井村正規

 



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